うつ主婦~パニック障害・適応障害・産後うつそしてうつ病へ~

パニック障害・適応障害・産後うつを経験し現在うつ病と闘っています。

パニック障害 発症

パニック障害を発症したのはおよそ10年前。

高校生の時でした。

中学までいじめを受けていた私は高校入学後は友人もできて楽しい学生生活を送っていました。

頭のいい高校ではありませんでしたが、勉強に力を入れるようにしました。

そして、クラスメイトと話すときは明るくふざけるお調子者になるように心がけました。

そのほうが楽だったからです。

最初はふざけて明るい子に見せれば笑っていれば、

あとは笑っていればよかったからです。

そんな時、うちの高校では成績優良者を学期末に発表していました。

その中でも最優良者を集会で表彰するのですがある時私が選ばれました。

クラスでいつも1番の子を抜かしその時は私が1番でした。

最初に言った通り私の通っていた高校はそんなに頭のいい学校ではないのですごいことでもないのです。

 

集会が終わり教室に戻ると、いつも1番の子が私の席にきて言いました。

「いつもヘラヘラしてるくせになんで勉強できるの?」と。

驚いてしまい「たまたまだよ~」と言って笑ってごまかしました。

その子は「どうやって勉強してるの?」と聞いてきたので、

「授業聞いてただけ」と言いました。

その解答がよくなかったのです。

その子は少しムッとして「私は家でもしてるけどね」と言い去っていきました。

私は、

まずいこと言ってしまった

気を悪くさせたんではないか

授業聞いてただけって確かに嫌味だったかも(授業聞くだけでできますアピール?)

と頭の中でグルグル。

そしてある授業中。

突然、

冷や汗、動悸、目の前が真っ暗になり、呼吸がうまくできなくなりました。

言葉が出せない、理由も言わず出てもいけない、逃げられない…

強い恐怖感に襲われました。

倒れるんじゃないか?もうだめだと思って耐えているとだんだん落ち着いてきました。

なんだったんだろうという感じで、疲労感だけがあるような感じでした。

この症状はいつ現れるかわからず、授業中・電車・映画館…不意にやってくるのです。

だんだんと電車や映画館、人ごみを避けるようになり、授業に出られなくなりました。

学校に行っても保健室で過ごすことが増え、学校に行くことも恐怖になってしまいました。

布団に包まってなぜ学校に行きたくないのか、体調不良の原因がわからずイライラする日々…

母に対して「学校行きたくない!」と言って、発狂することも度々ありました。

当たり前に成績が下がり順位が落ち、すごくホッとしたのを覚えています。

その後なぜだか忘れてしまいましたが、学校のカウンセラーと話すことになりました。

カウンセラーから病院(内科兼心療内科)を紹介され病院にいきました。

そこで「自律神経失調症」と診断されました。

それでも症状が出ることはあり、授業や電車に対する恐怖は消えず、引きこもりがちでした。

しばらくし体調も良くならず、病院も遠かったため近所のメンタルクリニックに転院しました。

そこで医師から「自律神経失調症という幅広い曖昧なものではなく、パニック障害です。」言われました。

パニック障害の治療をはじめ、今でも私のおまもりの薬「ソラナックス」と出会いました。

人によって効果は違いますが、ソラナックスは授業や電車に対する不安を消してくれました。

パキシルも出されそれもあってか徐々に学校に行けるようになり、保健室にも行きつつ授業に出れるようになってきました。

最初は戸惑い、困惑、錯乱していましたがパニック障害とうまく付き合えるようになってきました。

電車に乗る前に薬を飲んでおく、特急を避ける等工夫できるようになりました。

 

こうして私はパニック障害になりました。

私自身について

私自身は失敗を恐れる、完璧主義、諦める、楽をする…

そんな人間です。

他人に巻かれますし、他力本願。

一人では生きていけないと思ってます。

芯がない人間なのです。

そう自分では思います。

自己評価が低い等と言われますが、自分じゃわかりません。

うつ病の方がみんな私と同じような人ではありません。

私の知っている方でいつも元気でパワフルで明るい人がいました。

その人のことをうらやましいなと思っていましたが、うつ病になってしまったようです。

あらためて、誰にでも起こりうる病なのだと思いました。

私自身は今何のために生きているのだろう?と考えています。

働けば適応障害になり、子供を産めば産後うつになり…何にも貢献していません。

体調が悪ければ午前中ぼーとしていたり、料理も手を抜いたり、洗濯も午後干したり、専業主婦なのに…と罪悪感に浸る日々。

こんな私が生きる意味ってなんでしょうか?

模索しているところです。

今は1日生きようを目標にしています。

そしていつか子供や夫、両親に心配かけず自立したいなと思っています。

いじめ

私が受けたいじめは今思うと、無視しとけばいいじゃん。と思いますが当時は苦しかったです。

幼稚園に通っていた時、家が近所の仲良い子がいました。仮にAちゃんとします。Aちゃんは優しくてニコニコよく笑う子でした。
私は人見知りで臆病でAちゃん以外とはあまり遊んでいませんでした。
Aちゃんにはもう1人仲の良い子がいました。Bちゃんという子で、この子がちょっとキツめな子で…Aちゃんとお絵描きしてるとBちゃんが来て私に「ベロ出して」と言ってきて舌を出すと水性ペンを下にシュッとしてきました。
舌を洗いに行ってる間にAちゃんはBちゃんと絵を書いてました。
おままごとでも私はBちゃんに「雪だるま役ね」と言われ、ずっと立ってる役やったり(笑)
いじめと言うか意地悪されたって感じです。

小学生の時は低学年の時一瞬ですが、
転校生に意地悪されました(笑)
私がびくびくしていたからだと思いますが、
「まるちゃん以外に手紙書いたからみんな見てねー」と叫ばれたり、給食の時はぶかれて1人で食べたり…泣いて帰ったりしました。

1番辛かったのが中学の時です。
中1で仲良かった男の子が急に中2で無視・舌打ちを始めました。
するとその周りの男子も通りすがりに舌打ち。その男子たちが怖い男子は見ないふり。
バグズライフのフランシスに似てると言われ、
フランシスと叫ばれたり張り紙されたりしました。
小学生の卒アルをメールアドレス付きで回されたりしました。
あと、中学のときサブメールが流行っていて、修学旅行前日に知らないサブメールから(s○x.love@とうアドレスだったなー)メールがきて「テメェ修学旅行くんなよ」と送り続けられたり…

びくびくして過ごしていました。

中学の時1度学校に行けなくなったことがありました。
無視・舌打ちされ始めた頃、私は気配を消して過ごそうとしていました。
授業中当てられてわからなかったので教科書を見ていたら先生に「ヒントを黒板に書いてあげたのに、うつむいてるんじゃないわよ」と言われ、悪目立ちして行けなくなりました。
ヒソヒソ言われて本当に嫌でした。

兄が不登校で家にいたのでそれも嫌ですぐ学校には行けるようになりました。

高校は女子高に行きました。
楽しく過ごしていました。
今でも遊ぶ親友ができて本当に楽しかったです。
ただ、この高校の時に突然パニック障害になってしまいました。

家庭環境

前投稿に書きました家庭環境についてです。

二世帯住宅に住んでいました。

一階部分は、父・母・兄・私

二階部分は、母方の祖母

それぞれに玄関はありましたが、中で行き来できるようになってました。

父…夜勤勤務のある仕事。

母…5年程前まで食品会社(請負?)の営業・販売・配達し、私たち夫婦や親戚に借金してまでのめり込んでいました。しかし、親戚といざこざがあり現在は普通に働いてます。

兄…私の7歳上。小学校の時から親学校に呼び出されることがあったような。中学からひきこもり・暴れる・逆らうと物投げる。10年ぐらい続きましたね。今は、普通に働き私にも優しくなりました。

祖母…二階から見て誰が何時に出て何時に帰るかなどをチェックし、愚痴る。気に入らないこと(自分以外と家族同士が外出等)があるとドアをバタンバタンと閉める。近所の人や来訪者に「寂しい寂しい」とこぼす。

こんな家族と22歳まで過ごしました。

私が小学校のころには、母は食品を自宅で販売・配達・営業をしていました。週に1回くらい自宅で試食会を開いたりしていました。

兄は引きこもってました。

母と兄はよく衝突していました。

私が学校から帰宅すると家じゅうめちゃくちゃなことが多々ありました。

父が帰宅するまでに片付けを母や祖母としていました。

父は帰宅すると兄の部屋に行き怒鳴りあったり殴り合ったり…

時には深夜まで。

兄中心の生活・兄優先の生活でした。

母は「お兄ちゃんを怒らせないで」と私によく言っていました。

ちょっとしたことで起こるので常に顔色をうかがう生活です。

例えば見たいテレビがあるというと箸を投げつけられたり、習っていたピアノの練習したら怒鳴られたり。

息を潜める生活に慣れてしまっていました。

兄優先なことで思い出したことがあります。

私がすごく楽しみにしていた遊園地に行くことになりとても楽しみにしていました。

しかし、兄が朝帰りしたことでその予定はなくなりました。その後も行きませんでした。

母も父も「仕方ない」と。

我慢もしなくてはなりませんでした。

母も父も兄がしたいことは何でもさせていました。

バイクが欲しいといえば買い与え、大学に行きたいと言えば3回くらいしか行かない大学の入学金・学費を払い続け退学。

一刻も早く家を出たいなと思って過ごしました。

 

私は大学を奨学金で行ってほしいと頼まれ奨学金で通いました。

バイトを始めると母はお金を私に貸して欲しいというようになってきました。

理由は「お兄ちゃんがエアコンつけっぱなしで電気代が払えない」「お兄ちゃんがすごい食べるから食費が足りない」でした。

あまり家にいたくないのとお小遣い稼ぎにバイトを掛け持ちして慌ただしく過ごしていました。

暇嫌いだったので大学・バイト・遊びと充実した日々を過ごしていました。

夫と出会い結婚し、大学卒業とほぼ同時に結婚し家を出ました。

その後もお金を二カ月に一回ほど貸す生活が続きました。

数年後父から電話があり、母が親戚に数百万借りていてすぐに返さないと父の会社に言うと言われ百万ほど貸して欲しいと…

私の貯金だけでは足りず、夫に頭を下げ貸してもらいました。

どうやら売上げの為に自分で商品を買い続けたようです。

このことを機に母は食品販売をやめ、契約社員で働くようになりました。

この時貸したお金は父の退職金で返してもらいました。

 

書き出すとなんかとんでもない家族ですね(笑)

 

 

発症のきっかけは?~私のうつ病~

パニック障害を高校生の時発症しました。

高校に入るまで、幼稚園・小学校・特に中学生の時いじめにあってました。

私はこれが発症のきっかけになったと思っています。

また詳しくは書きます。

あとは家庭環境です。

私には兄がいるのですが、年が7歳離れているので物心つくころは思春期というか問題児からのひきこもりでした。

そのことも何か結びついているのではないか。と思っています。

私は、パニック障害適応障害産後うつうつ病は誰しもがなりうる病だと思っています。

怠け病ではありません。

仮病でもありません。

これだけは経験していえることです。

見た目にはわからないですし、病原体も数値もありません。(私の場合)

人には人の人生があります。

人間が形成するのに外見・内面の違いがあるのは当然です。

そして、考え方や捉え方、物事の見方も人それぞれ違うことはあまり理解されていないのでは?と感じます。

自分が耐えれるから他人も平気。これは違います。

自分には平気でも他人にとっては著しく負担になる場合もあります。

発症のきっかけは人それぞれですが、私はこのブログを通して私の経験しているうつ病に対して少しでも知っていただけたらと思い書いていきます。